パレスチナ人女優ヴァランティナさんを、もう一度ステージに!

◆サーブリーンから、友人の治療のために支援ができないだろうかというメールが届きました。
◆パレスチナ人で演劇活動に
参加し続けていたヴァランティナ・アブー・アクサーさんです。
2002年4月にジェニーンに食糧と医薬品を運ぶ救援活動に参加している途中にイスラエル軍によって撃たれ、肘が砕かれてしまったというのです。
◆以下は、彼女のプロフィ
ールの翻訳です。
◆ヴァランティナさんの演劇活動は、サ
ーブリーンの音楽活動と同様に、パレスチナの地でのパレスチナ人たち自身の文化活動の一環だと考えます。
◆この彼女のために、少しでもカンパができないかと考えました。

  カンパ送り先:郵便振替口座:00170-0-608839
           加入者名:サーブリーン協会

◆お手数ですが、必ず「ヴァランティナさんへのカンパ」と通信欄にお書きください。よろしくお願いいたします。

 


ヴァランティナさんのプロフィール


 

 ヴァランティナ・アブー・アクサーは、演劇に打ち込み続けている傑出したパレスチナ人女優です。上ガリラヤのメイリーヤ村で1967年に生まれました。彼女の演劇活動は1987年、エルサレムのアル=ハカワーティー劇場から始まり、その後、サナービル、パレスチナ民族劇場、アル=ミーダーンなどでの演劇に参加してきました。
 現在、ヴァランティナは、夫と2人の子供と一
緒にハイファーに住んでいます。

 彼女の最初のキャストは、
1987年にアル=ハカワーティー劇場で上演されたFrancois Abu Salem監督による、Chekoveの劇「Mertchotkina」でした。
 
1988年、「Kufur Shamma」(アル=ハカワーティー劇場/Abu Salem監督)での「Nijmeh」役。
 
1988年、「Natreen Faraj」(サナービル劇場/エルサレム/Hayyan Ju'beh監督)での二役。
 
1989年、「Kharbasha Fee Mahatta」、彼女とIbrahim Eli'watが、脚本、監督、そして上演。
 
1989年から1992年までヴァランティナは、パレスチナ各地で様々な演劇のワークショップと劇の上演をおこないました。
 
1994年に彼女は、「First Ramallah Group」に所属する数人のパレスチナ人の子供たちのためにワークショップを行い、そこから「Alhulom」(夢)という劇(彼女が脚本と監督)が生まれました。
 
1996年、「Sarter」の「Dirty hands」(パレスチナ民族劇場)での「Olga」役。
 
1999年、最初の詩集「Mira'ah」(鏡)を出版。
 
2000年、ロルカの「ベルナルダ・アルバの家」を基にした芝居(アル=ミーダーン劇場/ナザレ)での「Kamleh」役。
 
2002年、Hussein Barghoutiの芝居(アル=ハカワーティーの制作/Fredrick Merlo監督)での「Um Ali」役。

 さらにヴァランティナは「子供たちの芸術活動」に
関わり続けてきました。彼女がハイファで始めたこの活動は、「ジュベイネ劇団」との協力の下でガリラヤ地方のパレスチナ人たちの諸都市や村々にも広がってきているのです。

 
2002年4月9日にヴァランティナは、ジェニーン市に食糧と医薬品を運ぶ平和的な行動に参加しました。参加者たちは、現地に着くやいなや、ジェニーンへの支援を阻止しようとする反アラブのデモ隊から妨害を受けました。その数分後にはイスラエル軍の兵士たちが、反アラブのデモ隊に加わり、銃撃を始めたのです。そこでヴァランティナは腕に銃弾を受け、肘が完全に砕かれてしまいました。彼女はずっと治療を続け、これまでに4回の手術を受けました。けれど今もなお、肘の治療は大きな効果を上げてはいません。

  

 そのためヴァランティナの傷は、彼女の日常生活と活動にも影響を与えています。癒えることのない体の変化ゆえの様々な制限と苦難を伴った生活を強いられることになったのです。実弾によって彼女の肘は完全に破壊されてしまいました。人が腕を動かすために必要な、骨と靱帯、筋肉の一部が破壊されたのです。医師たちは、彼女の腕が自由な動きをとり戻すことはないだろうと見ています。

 この怪我は、自分一人では自由な行動がままならないという苦しみや、2
歳の息子を抱き上げたりベッドに寝かせたりすることができないという喪失感を、彼女にもたらしました。彼女は、銃撃によって強いられた、回復不能な状態を乗り越えるためにはどうしたらいいだろうかと考えながら、幾晩も眠れない夜を過ごしました。銃撃を受けるというのは、ましてハンディに苦しむということは、彼女がこれまで考えてみたこともなかった可能性でした。

 ヴァランティナが腕の動きを最小限度でも取り
戻すためには、肘の移植手術を受けなければなりません。肘を人工物で置き換える手術は非常に特殊で、とりわけ若い患者に対しては一般的に行われるものではありません。さらに、こうした肘の全面的な怪我が特殊なものであるがゆえに、中東地域の整形外科医は、そのような置換手術には熟達していないのです。

 多くの友人たち、
政治家やアーティストたち、そして人道主義に基づく人たちがキャンペーンを開始して、彼女が自らの新たなハンディと制限に順応し、そして生きてゆくのを支援するために、経済的な支援と精神的な支えを提供してきました。そして、こうした多くの友人や人道的な活動家たちの手助けや支援によってヴァランティナと子供たちは、怪我と長い入院生活ゆえの大きな変化を乗り越えることができました。

 ヴァランティナは、できるだけ早急にイギリスへ行って、肘の移植手術を受けなければなりません。整形外科
医は、彼女が肘の自由な動きを部分的にであれ取り戻すために、この手術を勧めています。けれども、その手術費用は、とりわけパレスチナ人たちの間に拡大する経済不況ゆえに、ヴァランティナの家族の支払い能力では賄うことができません。

 パレスチナの大義のために演劇活動を
続けてきたヴァランティナのために、皆さんからの支援を、どうかお願いいたします。


*連絡先*
Valantina